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キッチュな静岡第35回 「リボン」2011年9月24日号掲載
近ごろ、静岡の街中、両替町界隈でリボンを大きくあしらったドレスを召す婦人をよく見かける。キラキラ光り物をあしらう大きなリボンはドッキリ、キッチュだ。 そもそもリボンは平たく細い形状の布そのものをいうようだが、これを蝶結にした形を「リボン」と呼ぶ。このリボンは、装飾としてすでに古代ギリシャ時代から存在していたという。 リボンといえば、手塚治虫の「リボンの騎士」を思い出す。主人公は騎士とはいえ少女なのだ。つまりリボンで主人公は女性であることをアピールした。キャラクターやピクトグラム(絵文字)の作成では、男女を示すのにリボンをつけることで女性を現す例が多いという。リボンは女性が専有する性差マークとも言える。 しかし、16、7世紀まで、ヨーロッパでは男女が広く使っていた。その名残りが蝶ネクタイだ。だが、大きな戦争を何度も体験し、男たちを包む軍服にはリボンという装飾を退けた。結果、リボンは女性のものという概念が広まった。そしてリボンは限りなく男から遠のいた。その結果「リボンフェチ」という、リボン収集癖の男たちを生み出したのだ。 リボンフェチとならべて語ることは避けたいところだが、北朝鮮による拉致被害者を救出する運動ではブルーリボンを記章としている。このブルーは北朝鮮と日本を隔てる日本海を表している。早く一刻も早く、拉致被害者を救出し、ブルーリボンをつけなくてもいい日が来て欲しいものだ。
「キッチュ」とは…キッチュとは、「いかもの」「きわもの」「俗悪物」「芸術のぼろ」などという言葉で説明され、大衆の趣味に迎合するために作られた一連の安物。浅草で外国人に人気の北斎の赤富士を刺しゅうしたペナントなどはその例。しかして、キッチュにはなんともいえない実存感と有無も言わせぬ押しの強さがある。私は、キッチュこそが日本の芸術文化の堆肥だと思っている。この堆肥がなければ、日本の芸術文化は育たないのでは…。また、キッチュ度をみて、その町の底力、大衆パワーも見えてくるというもので、はたして、静岡のキッチュ度は何度かー?
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